サイトへ戻る

デジタルでアナログな連想

本についての新しい仕事「ブックアソシエータ」(2)

新しい本の仕事の準備を今しています。

前に触れた「ブックアソシエータ」という概念に形を与えるような。

具体的には、古本のセットを組んで、ネット上で販売します。

この「セットの組み方」に価値を見出だせないかと考えています。

が、ここでは組み方の話はしません(実際に作業を模索しながら言葉になっていくはずです)。

なにかしらの価値を内包する本のセットを着実に、遅々とであれ、生み出せたとする。

一方で、商品となるそれらをアピールする必要があります。

セット本の並びだけで魅力がにじみ出るのでなければ、別の形でそれを表現せねばならない。

本の抜粋をする

まず思いついたのは、本の抜粋をbot形式で流すことです。

botはtwitterの機能というか活用法の一つで、一定期間ごとにツイートを自動発信するプログラムを指すようです。

抜粋する内容は、その本の魅力や、その本を含むセット全体の魅力を表すのが(特に後者が)理想です。

この広告手段を実行するために、セット組みの作業と同時進行で、抜粋を蓄積していく。

その作業とはどんなものかな、と思い、セット組みより先に抜粋ピックアップを試行しました。

つまり普段の生活の中での読書において、仕事のための思考領域を、念頭の一部に与えました。

短編集の一編を読み、自分がなにか感じるところのあった一節を、いくつか書き留める。

この「書き留める」が実は文字の如しで、手書きでノートにメモすることになりました。

手書きのアナログ

データベース化を考えるなら、当然、PCにテキスト形式で保存するのが好ましい。

あるいはExcelのシートに名前をつけてセルに入力したり、専用のソフトを使うのもいい。

ただ僕は、いざ抜粋しようと思った時に、ふと手書きがいいかもしれないと思いつきました。

それもボールペンではなく鉛筆やシャーペンが、より「アナログ」な方がいい、と。

近所のスーパーへ行ってノートとシャーペンを買いに行きました。

100円Shopでしたが、シャーペンは少しこだわって、アルミ製の重めのものを選ぶ。

持ち手にラバーがついたプラスチック製よりも、書きにくいし、疲れやすい。

選択の判断基準に、機能性は含まれていないからです。

書いていて、自分で「?」と思ったのは、「アナログ」という表現。

キーボードで打ち込むのに対し、ノートにこりこり書くのがアナログというのは自然です。

それに加えてここでは、ボールペンよりシャーペンの方が「アナログ」だと言っている。

意味のズレた使い方かもと思いつつ、なにか自分の言いたいことを表しているようでもある。

アナログとデジタル

一つは、「風化のしやすさ」という視点です。

ペンのインクは、消しゴムで消せる芯材の黒鉛よりも強く紙に定着します。

シャーペンで書いた文字は、手で擦ったり、ページ同士がすれても、じわじわと剥げていく。

また、描線の輪郭に注目すると、インクの明確さと比べて、黒鉛は曖昧で茫洋としている。

アナログとデジタルという対比が示す意味は、いくつかあると思います。

主だっては「連続と非連続」、時計の連続秒針(アナログ)と数字表記(デジタル)の差。

それともう一つ、「時間性と無時間性」というのもある、のではないでしょうか。

生成や消滅にかかる時間の有無、これも同じことですが、変化に対する(無)時間性、など。

なんの話をしているのか、と思われそうですが、そろそろ戻って来ます。

脳の中の毛玉

僕は「連想」をキーワードに、本を組み合わせ、また、魅力発信のために抜粋をする。

この抜粋作業に対して、僕自身はアナログ性を志向した(ように思える)。

いまこのように文脈を整理してみて、僕が非常に気になることがあります。

「連想」とは、アナログなのか、それとも、デジタルなのか?

性質としてどちらか一方だ、と割り切れる問いではないと思います。

それはつまり「連想とはアナログ的でもありデジタル的でもある」という意味です。

それでは何も言っていないに等しいのではないか、といえば、それは違います。

大事なのは、双方の性質を兼ね備えるという認識のもと、それらがどう絡み合っているかを理解することです。

赤い毛糸と白い毛糸がもじゃもじゃと複雑に絡み合って、それは遠目にはピンクの毛玉である。

でも、撚りをほどき、結び目を解くと、赤い毛糸と白い毛糸のそれぞれを、少しずつ選り分けていくことができる。

たぶん、毛玉を間近で見ても、手にとって放り投げても、それはピンクに見えるのでしょう。

それが毛玉であり、ピンクであるとさえ知れば、実用上なんの問題もないから。

けれど稀に、毛玉の形が崩れる覚悟で、内部に手を突っ込んで、毛糸をずるずると引き出そうとする人間がいる。

僕がしようとしているのは、そういうことかもしれません。