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鎖書の「鎖」の重みについて

保坂和志『小説の自由』を手がかりに

ワシリーサがあんなふうに泣きだし、娘があんなふうにどぎまぎしたところをみると、たったいま自分が話して聞かせた、千九百年むかしにあったことが、現代の──このふたりの女に、そして多分、この荒涼とした村に、彼自身に、すべての人に、なんらかのかかわりがあるのは明らかだった。

(…)

過去は、と彼は考えた、つぎからつぎへと流れだす事件のまぎれもない連鎖によって現在と結ばれている、と。そして彼には、自分はたった今その鎖の両端を見たのだ ── 一方の端にふれたら、他の端がゆらいだのだ、という気がした。

上は保坂和志の『小説の自由』の中の、チェーホフ『学生』からの孫引き。

引用中「千九百年むかしにあったこと」は、保坂氏の要約から以下に抜粋する。

イエスが捕られられたときに散り散りに逃げた弟子の一人であるペテロは、イエスが鞭打たれ尋問されるのを、中庭で焚火にあたっている作男たちにまじって遠巻きに見ることしかできなかった。するとそこにいあわせた者たちから「あなたがイエスと一緒にいるところを私は見た」と言われ、ペテロは「私は知らない」と答えてしまった。彼は中庭から出て、激しく激しく泣いた……。

保坂氏の文脈では、先の引用の最後近くの太字部「ふれたら」の意味が、『告白』の中でアウグスティヌスが死の際の母との対話を通じて「永遠に豊かな国」に「わずかに触れた」と書いた時の「触れた」の意味と同じ(保坂氏曰く「ものすごく同じだ」)であるところに引用の力点がある。

が、僕自身はこの保坂氏の文章を自分自身の文脈と重ね合わせながら読んでいて、それはブックアソシエータとして運営する鎖書店の意義のようなことだが、僕は先の引用の下線部、特に「鎖(の両端)」と、それが「ゆらいだ」という箇所に強くインスピレーションを刺激された。

世にある本と本を独自の文脈のリンクで繋げたもののことを僕が「鎖書」と名付けた当初は、「さしょ(てん)」という言葉の響きが他の候補(「えんしょ(縁書)」「れんしょ(連書)」など)と比べて良いと思えたからで、「鎖」のもつ物質的には重々しいイメージに対しては、その解釈を保留としていた。

本と本のリンク、と言っているように、そのつながり自体は英語ならLinkedだろうと考えながら、鎖書の和名に合わせてChainbooksとした。複数系なのは、中世ヨーロッパの図書館にあった「書架や閲覧台と鎖で繋がれた本」のchainbookと差をつけるため。苦し紛れの言い訳であるが(後者が複数あったら一緒じゃないか……)。

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けれど、保坂氏の引用による『学生』の一節を読んで、(自分のひらめきリンクの驚きに保坂氏の文脈上の感動も手伝って、)「鎖」のメタファーに秘められた意味に気付くことができた(こうなれば命名当初の自分が想定していたかどうかなど最早どうでもよい)。

本と本が、リンクする。

本と本が、なにがしかの関係・ただ一冊読むだけでは到底見出し得ない関係・そして読み手の個人的な経験的文脈に合わせて変化する関係、によってリンクする。

そのリンクは、実体としては確かな重みを持った「鎖 - chain」のメタファーである。

読者が、鎖書のうちの一冊を読む。

その本によって、思考が、心が動かされる。

そうして生じた「ゆらぎ」が、その一冊と繋がれた「鎖」の振動により、残りの二冊にも伝わる。

読者が一冊の本に対して持った独自の手応えが、鎖書という枠組みを通じて他の本に伝播する。

このことはまた、ある本を読み終えて読者が得た印象が、その読後の生活過程(これに終わりはない!)においても、別の本の読みが遡及的にその印象を変化させることをも生み出す。

もともと、人が生活において読書を続けるうえで、上記のようなことは起こるものである。

ただその多くは、本人が意図して起こすものではなく、偶然の産物である。

その偶然を必然に代えてみせよう……というのではない。

一つの偶然が起こるまでの未然の時に、多くの「きっかけ」がその元手として存在する。

それらは隠れているが確かに存在し、ひそかに息づきながら何かを待っている。

鎖書という読書に対する道具立ては、その「きっかけ」を増やす試みといえる。

「きっかけ」を増やせば偶然の発生率が高まる保証は、もちろんない。

けれど、

「きっかけ」を多様に準備しておくことで、

偶然の到来を「楽しく待つ」ことができるようにはなるはずだ。